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- 真似してほしくないフリーライターのなり方①六本木のY氏
いきなりフリーライターになるのはやめとけ
ごくたまに、ライターになりたいという相談を受けることがあります。
ライターになるルートはいろいろありますが、私の場合はまず名刺をつくることから始めました。今から10年ちょっと前、大学を卒業した直後のことです。
ネットで「フリーライター なる方法」と検索すると、「名刺をつくれば今日からなれる」と言っているブロガーがいたので、言うとおりにしました。
そうして晴れてフリーライターになった(つもりの)私ですが、名刺をつくったからといっていきなり仕事が舞い込んでくるわけではありません。当然ですよね。
普通は、どこかの出版社や編集プロダクションで何年か働いて、コネクションを作って、お客様がいる状態で独立するのだそうです。
よっぽど何か取材したいテーマや、根性のある人は別です。私はどちらも特になかったのですぐに困りました。なんのツテも実績もなかったので一瞬で途方にくれました。ライターの名刺を持っている無職の人です。
「いきなりフリーになるな」ということは、ライターに限らずどんな仕事も同じで、多分みんな言わなくてもわかっていると思うのですが、なんで誰も教えてくれなかったんですか?
いきなりフリーライターになろうと思う人がどのくらいいるのかわかりませんが、「いきなりフリーライターになると一体どういうことになるのか」、私のあまり良くない経験談をお伝えしたいと思います。参考になれば嬉しいです。
きっかけは劇場ボランティア
私がライターになりたいと思ったのは、大学4年生のときでした。当時、お芝居の戯曲を書きたかった私は、「ライターなら文章力を上げつつ、知見も増やせて最高なのでは?」と考えたのです。企業に就職すると自由が効かなくなりそうだったので、選んだのはフリーライターの道でした。
ただ、身近にライターをしている知り合いがおらず、ライターの仕事がどんなものかもよくわかりません。
ちょうどその頃、「劇団本谷有希子」が公演ボランティアの募集をしていました。当時本谷さんは『幸せ最高ありがとうマジで!』が岸田國士戯曲賞を受賞したばかりで、イケイケの劇作家でした。
そんな本谷さんの舞台をタダで観賞できるなんてラッキーと、ボランティアへの参加を決意します。演目は『来来来来来』(下北沢本多劇場)。主演はりょうさんです。
その公演ボランティアに3つ年上の女性、Aさんがいました。聞けばAさんはライターというではありませんか。
私がライターの仕事に興味があると言うと、「うちの会社はバーも経営していて、物書きの人もよく来るから、ライター志望なら一度来てみたら」と誘ってもらいました。
さっそくお店に遊びに行き、「ライターになりたい」という話をやや大きめの声で話していると、カウンターの隣に座っていたDさんという男性が、「知り合いにライターを探している人がいる」と言います。渡りに船とばかりに、私はDさんにその人を紹介してほしいと頼み、そうして出会ったのが、六本木のY氏でした。
六本木のY氏
Y氏は、六本木ヒルズのコワーキングスペースに365日、朝から晩までいました。恐らく60代前半くらいの年齢だったと思うのですが、正確な年齢は聞いたことがありません。身長はそこまで大きくはなく、前髪をセンター分けにした、上品な感じの男性でした。
いくつかの会社を経営しているようでしたが、事業内容はよくわからず、また、社員はそこにはいませんでした。近くに事務所を構えており、そちらで作業しているそうです。
はじめて会ったY氏は、終始仏頂面でしたが、私は真剣にライターを目指しているということを伝えました。まったく感情が読めなかったのですが、どういうわけか話はまとまり、私はY氏のもとでライター見習いをすることになります。
「○○(某新聞社)の仕事で、全国のイベント情報を書く案件があるから、それをやってください」と言われ、その日から私は全国各地のイベントを調べる仕事をすることになりました。
演劇、お祭り、フードフェス、舞踊、コンサート、ミュージカルなどなど、ネットやチラシを見て、「いつ、どこで、何をするか」をリサーチします。振り返ると、私のライターとしての初仕事はこれだったと思います。
結果的に、私はその後1年間、Y氏のもとで無償労働をすることになるのですが、「なんかよくわからんが、ライターへの第一歩を踏み出したような気がするぞ!」とこのときは喜んでいました。
長いので次回に続きます。
中村 未来Nakamura Miku
千葉県習志野市出身の演劇ライター、シナリオライター。
玉川大学芸術学部卒業。
趣味は演劇鑑賞と漫画を読むこと。
東京都在住。
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